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☆世界一周 60日目☆


ブログの更新またまたさぼってしまいました。モロッコのマラケシュが暑すぎて、毎日ぐでぐでしてたのです。。
リアルタイムは、スペインへ脱出して、バルセロナにいます!

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パレスチナ自治区続き。



一人寂しく、聖母マリア様の通ったと言われる道を逆に辿ってたどりついたのは・・・



パレスチナ自治区とイスラエルを分離する壁でした。
DSCF4028.jpg


壁には、パレスチナの独立や、自由を願ったメッセージや絵が、たくさん描かれています。
ハマスを作れ


「壁ではなくフムス(豆のペースト)と作れ」



そもそも、パレスチナとイスラエルって何?パレスチナ人とイスラエル人どっちか悪いの?




日本にいたとき、よくニュースで「パレスチナ」とか「ガザ地区」を耳にしていましたが、複雑でよく理解できないでいました。




ユダヤ系イスラエル国民のPolinaに聞いたり、自分で調べてみたので、簡単にまとめてみます。




まず、イスラエル。現在のイスラエルのある、地中海東岸の地域は、古来からパレスチナと呼ばれていました。ユダヤ教の聖典の中で、この地は神がイスラエルの民に与えた約束の地であるとされ、「イスラエル」と呼ばれ始めました。

ここに古来から住んでいたのが、ユダヤ人。侵略を受け、住む場所を奪われ、世界に散らばり暮らしていましたが、世界大戦後、「イスラエルに故郷を再建しよう!」という運動が起こり、イスラエルの地に帰ってきました。そして1948年イスラエル建国。ユダヤ人国家が誕生しました。そして、この世界各国から移住してきたユダヤ人が、イスラエル人と呼ばれています。なので「イスラエル」という言葉はユダヤ人にとってのパレスチナです。だから他の民族はイスラエル人と呼ばないのですね。




一方、ユダヤ人が世界各国に移住していた時に、イスラエルの地(パレスチナ)で暮らしていたアラブ人(アラビア語を使う人々)を、パレスチナ人と呼びます。このアラブの人々(パレスチナ人)は、自分たちの暮らしていた場所に、ユダヤ人が突然移住してきて、国まで作ってしまったので、当然反発します。




そして、パレスチナの地にムスリム教、キリスト教、ユダヤ教徒の全てが共存する、非宗教的な国家を作ることを目標としましたが、そううまくはいかず、とりあえずの国家的なもの(パレスチナ自治区)を、西岸地区とガザ地区につくることで合意しました。しかし、未だパレスチナ自治区の多くの地域はイスラエルの占領下にあり、不満の募るパレスチナの人々のテロ行為を恐れたイスラエルは、イスラエルとパレスチナの間に壁を建設し、国民を守る為にテロ対策をしているのです。




しかしパレスチナの人々は、この壁が建設される前は、イスラエル側へ学校や病院、仕事などに行っていました。壁建設後は、イスラエル領内に入る為に、検問所を通らなければなりません。しかもこの検問所を通るにはイスラエル政府の発行する許可証が必要で、病院や国際機関等に勤めているか、30歳以上でないと、発行されないとのこと。


生活の自由を奪われたパレスチナ人は、壁の中で色々な思いを抱きながら生活していることでしょう。

住居のこんなにもすぐそばに壁は建てられています。壁の建築にあたって、立ち退きにあった人々もいたそうです。

パレスチナ壁

壁の一部のエリアには、パレスチナ人の悲しい体験のエピソードがたくさん貼られています。
そのうちの1つのご紹介。
「2000年に行われたインティファーダ(イスラエルに対するパレスチナの反乱)の頃、お店(著者の店)にサンドイッチを買いに来た少年がいました。ちょうどその同じ頃に、パレスチナの若者が何人か集まって、イスラエル兵に石を投げつけるために集まっていました。イスラエル兵は彼らに向かって銃撃をし始め、13歳の少年が一人頭を撃たれ亡くなった、と聞きました。その銃撃の間は皆外出禁止を言渡されており、その後外に出られたときに、亡くなった少年は、サンドイッチを買いに来た子だったことがわかりました。」

DSCF4022.jpg

こんな感じでたくさんエピソードが貼ってあるので、時間のある方は読んでみると良いと思います。



DSCF4048.jpg




想像できますか?



イスラエル兵の監視塔があちこちに立ち、銃を持った兵士に監視され、旅行なども自由にできない生活。



一方イスラエル人は、パレスチナ自治区の中でも、イスラエルの管轄している部分は自由に訪れることができます。




分離壁を見たり、ニュースを見る限りでは、どうしてもパレスチナ側に同情してしまいますが、イスラエル人から話を聞くと、大虐殺にあったユダヤ人が、開放され改めて国家を作れたことが、どんなに大きな喜びだったことか、そして、非人間的ではあると思いますが、分離壁を建てたり、若い男女に兵役を課して、国を守ろうとする気持ちもわからないでもないです。




この間旅人仲間の言っていた言葉、



「正義の反対はもう1つの正義」



という言葉が頭を巡っています。



解決策は見つかるのでしょうか。



この分離壁を見た後、ヘブロンという街にも訪れたのですが、
私から見たパレスチナ自治区は、とても活気があり、1つの素敵な国家として成り立っているように、人々の暮らし、文化がありました。

DSCF4054.jpg

DSCF4058.jpg


みんな、「ジャパン??コンニチハ!!  I like Japanese!」と、人懐っこく話しかけてきます。写真を撮ってくれと、みんな決めポーズをしてきます。
DSCF4061.jpg


うちの赤ちゃんの写真とって!と言われ、だっこまでさせてくれました。
DSCF4068.jpg



パレスチナ人と、イスラエル人が、もっと対話をしたり、お互いを分かり合える日が来ることを願います。



【ベツレヘムからヘブロンへの行き方】
バスを利用する場合は、Intercontinental hotel のある、Jerusalem-Hebron St. という通りを、南方面(ベツレヘム側)に10分程(インターコンチホテルから)歩くと、Bab Zuquq Square という交差点があります。(エルサレムからの21番バスが着くところ)

ここから、セルビス(Service)という、大型のタクシーのような乗り物が来て、ヘブロン行きの人を集めます。ヘブロンに向かう車線側に止まっているので、分からなければ周りのおじさんに聞くと教えてくれます。

30〜40分程でヘブロンに着きます。料金は9.10シュケル。セルビスの中で、運転手さんに払います。

帰りも、ヘブロンから同じようにセルビスを探して、ベツレヘムまで戻り、そこから21番のバスでエルサレムに戻りました。





今日も読んでくれてありがとうございます!



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